THE 100-YEAR LIFE 100歳人生
No.64<THE 100-YEAR LIFE 100歳人生>
”高齢故の「退位」を望んで来られた明仁天皇と同期生の”ぶらいおん”は、一足先に満84歳を迎えた。”
”ぶらいおん”と称している筆者も、この7月31日の誕生日で、遂に満84歳となった。
自分でも信じられない。
織田信長を気取る訳では無いが、『人生五十年…。』と、50歳になるまでは友人に対し、口にしたりしていた。
しかし、昭和8年生まれの男が50歳に近付いた頃、つまり1983年(昭和58年)頃には、日本人は男性、女性とも、実際は70歳を軽く超えていたんだよね。
それでも、父親を癌で62歳直前に失っていたので、自分がそれを大幅に超えて生き延びるだろう、なんてことは殆ど考えていなかった。
それと、このコラム中でも、何度か、触れたが、直ぐ下の妹が50歳を超えたばかりで、急死した頃、筆者自身も体調不良を感じていた。肉体的にも、精神的にも、我ながら生気を失っていた、と思う。
”人生半ばで、一旦生気を失った男が、どのようにして再生できたのか?”
それを乗り越えられたのは、一つには、この妹の死に大ショックを受けた母を、このまま放っては置けないという長男としての使命感と、親より先に逝ってしまうという、いわゆる逆縁だけは生じさせてはならない、という強い想いがわき上がってきたことにもよるのだろう。
求めようとした「成果」と「転換」は生活環境を変化させることと、新しい土地で、新たな交友関係を築くことによって達成出来たのだ、と今は考えている。
これも何度か、書いているが、仕事場を大都会の真ん中(東京、西新宿)から磯釣りの出来るような海辺(和歌山県白浜町)に移すことによって、それは実現された。
この間の生活と仕事は、いわゆる単身赴任で、家族たちが暮らし、子どもたちが通学する東京と、新しく設けたサテライトオフィス(技術翻訳)の所在地(白浜町)との間を略1ヶ月置きに、自家用車を自分で運転して行き来し、通算すると、両オフィス(東京自宅オフィス)および(白浜サテライトオフィス)で、それぞれ半年間ずつ暮らしながら、仕事する、という状態をおよそ11年間続けた。
その後、成人した子どもたち2人を東京に残し、老人組の母と、家人と私の3人が、東京の本拠地自体を完全に撤収して、和歌山市へ居を移した。
それから、既に18年が経った。現在の自宅兼オフィス(開店休業状態ではあるが…。)も、白浜のような磯では無いが、和歌山県の海水浴場として、関西地方では知られた海辺にある。
だから、これ以上「海」を求める必要も無いし、新鮮な魚も当地で手に入るし、費用と労力を掛けてまで白浜の仕事場へ出掛ける理由が無くなってしまった。一方で、小なりといえども、土地建物を所有すれば、乏しい懐からでも、逃れようのない出費が次々と追い駆けて来る。
その頭の痛い問題が、どうにか、ここへ来て解決できる目処が立った。その辺りの事情も、本コラムを続けて読んで下さっている方々には、容易にご理解頂けよう。
そんな生き方をして来た筆者も満84歳となり、ずっと同居してきた母も昨年11月に105歳の天寿を全うした。
”さて、私の今後はどうなるのか? どのように「終活」して行けば、よいのだろう?
2017年現在の日本人の平均寿命は男性も女性も80歳を超えている。男性はホンの僅かばかりなのに比べて、女性の方は数歳も80を超えているはずだ。
男性である筆者自身の感覚からしても、80歳の大台ををクリアした人々は、今や100歳時代を念頭に置かねばならぬ事態に突入している、と感じる。
NHK BSでのシンポジウム『ダボス会議2017 人生100年時代 ”100歳の私 どんな人生”』という番組を、例によって録画HDから視聴した。
”リンダ・グラットン教授の提唱する「人生100歳時代」の生き方”
数人のパネリスト達の発言はそれぞれ興味深かったが、ここではその中の一人、ロンドン・ビジネス・スクールの教授リンダ・グラットンの話に絞って取り上げてみたい。
彼女は、「人生80年時代」が「人生100歳時代」に変化すると、従来の定年制度では、その老後計画に破綻を来す、と言う。つまり、定年退職後の人生が長くなることによって、老人達の蓄えが、これまでの考えに従ったままだと、結局、不足することになる、と言うのだ。
従って、100歳時代を生きる人々は85歳くらいまで、働いて収入を得ないと、真面な暮らしを続けることが出来なくなる、と言うのだ。
この話は他人事では無い。
日本の場合は、2007年生まれの半数が107歳まで生きると予測されているのが、現実だ。
実際、84歳となった筆者自身も、現在の精神的および肉体的状況からして、これから20年後まで考えてみる、というのは、あながち荒唐無稽な話とも思えない。もっとも、そこでリンダ・グラットン教授が提示している問題が、将にわが身に生じているのだ。
それは100歳まで生きるとなると、年金だけでは心細いのに、これまでの生き方からして、100歳を見据えた貯蓄はして来なかった。
従って、80代の今、死ねば、辛うじて一生の収支決算は、どうにか±0位にはなりそうだ。しかし、後20年となると、もう蓄えは底をつくことは間違い無い(既に、今でもそれに近い状態なのだから…。)。
だから、と言って、筆者は、このまま座して惨めな晩年を迎えたくは無い。
”リンダ・グラットン教授は、『それぞれ自分の「無形資産」を把握した上で、これを活用して、新たな人生を切り開くことを提唱する!』”
それについて、リンダ・グラットン教授は、私のような者について、非常に勇気が出るような話をされている。
それは、人が有する、いわゆる資産には、2種類あって、普通誰でもが考える「有形資産」とは別な形態の「無形資産」というものがあるという。
長く人生を送ってきた高齢者には、人にもよるが、有用な無形資産を有している可能性は高い、と言う。
100歳時代を生きる80代の高齢者は、『この無形資産を生かして、起業しなさい。』という話なのだ。
「なるほど、これならやってみる価値があるかも知れない。」と、筆者は気付いた。
前記したシンポジウムの中で、他のパネリストが「その人の持っている無形資産を、どのように把握し、評価するのか?」と質問したのに対し、リンダ・グラットン教授は、胸を張って、自分が関わっているHP(http://www.100yearlife.com/diagnostic/)にその診断方法(Diagnostic)が載っている、と答えていたので、筆者も早速その診断を受けてみた。
”筆者“ぶらいおん”の診断結果は如何?”
結果は、大体筆者が予想していた通りだった(?)、と言えるのだろうか?
それによると、私のProductive Assets(生産性資産)は 3.57 (out of 5)、『あなたの投下資産のレベルは維持されています。』そうだ。そして、それについて色々説明が為されているが、長文の英語なので、ここでは省略する。
次に、Vitality Assets(活力資産)は4.5 (out of 5)で、『あなたの投資のレベルは確立されています。』ということだ。
その次がTransformational Assets(変身資産):4.2 (out of 5)で、これも『あなたの投資のレベルは確立されています。』ということになる。
上掲の、これら3種類の資産が、リンダ・グラットンの言う「無形資産」に当たり、これに対し最後に「有形資産」の評価があり、私の場合は3 (out of 5)で、『あなたの投下資産のレベルは維持されています。』という結論であった。つまり、平均的で、可も無し、不可も無し、といったところか?
ここで、少しばかり、私なりの解説を付け加えてみると、ここでいう無形資産の内、「生産性資産」とは、これまでに交友関係などで築き上げてきた、専ら人脈などを活用するものの、実際には、これまで自分が積み重ねて来たスキルとは異なる、新たな仕事に挑戦する資質というか、能力を指している。
また、「活力資産」とは、専ら健康であることに由来する肉体的および精神的Vitality(活力)に基づく資質あるいは能力、ということになるだろうか。つまり、新しい環境にも順応して、力を発揮するだけの肉体的および精神的資質あるいは能力のことをいう。
更に、「変身資産」とは、好奇心や新しいことに対する興味や関心が強く、たとえ、従来の、自分のスキルから離れたとしても、新たな状況で、恰も変身したかのように、新しいチャレンジに躊躇無く、飛び込んで、これを楽しみながら、やり遂げるという資質あるいは能力ということになる。
要約すれば、彼女の論は、たとえ有形資産が底を尽きそうになったとしても、80歳くらいの高齢者は、上記したような無形資産を蓄積して来たはずだから、それを活用して『100歳時代を生き抜いてご覧なさい。』ということになる。
今のように、「1億総活躍社会!」と掛け声ばかり大きくても、それに対応する具体的な手立てが伴わない現状に不満を漏らしたり、批判しているだけでは、埒はあくまい、と筆者は改めて考えた。
実を言えば、個人的には、過去のコラム中にも触れているように、年金収入だけの下流老人状態を抜け出すために、筆者は、知り合いの弁護士に依頼して、今の年齢でも遂行できる仕事を紹介して貰っている。近々、具体的なことも決まり読者諸氏にもご報告できる、と考えて居る。
”でも、これから、変身して、何か新しいことが起業出来れば、もっと楽しい!”
しかし、リンダ・グラットン教授の話を聞いて、今の自分の状態において、単に受動的に仕事を待ち受けることだけを考えるのでは無く、立派な起業とは行くまいが、現在自分が有している無形資産を活用して、何か、新たに筆者が出来ることを、より熱心に探し、構築して行こう、という積極的な姿勢に、今や気持ちが切り替わって来た。
何を、どのように変えて行こう、という具体的に示せる案が、今現在あるわけでは無い。しかし、84歳の私が何か、今までの社会通念を超えた活動を成立させれば、同じような環境にある高齢者達を元気づけることが出来るかも知れない。
それに従って、このコラムも変容させるかも知れない。従来の書き方や利用法とは異なる活用方法に変更するかも知れないし、また「コラム」という形式に拘らないで、より個人的な「ブログ」のようなものに変えて行くかも知れないことを、今、ここで宣言しておこう。
筆者としては、100歳が寿命なのなら、それを受け入れて、それに見合った人生が送れるような手立てを、今からでも考えて行こう、と自然体で決めている。
この記事へのコメント
過分なるお褒めの言葉、有難うございます。
所詮、人は一人では生きて行けません。
此の世に送り出してくれた両親は元より、ホモサピエンスとして進化を続けてきたご先祖様無くして、私もあなたも、あのパソコン教室で出会うことも無かったわけです。
だから、「出会い」というものを大切にしたい、と思います。
核兵器使用をちらつかせて、互いに脅し合っている人々も、(少なくとも、今の段階では)たかだか100年くらいの寿命しか無いのです。
地球の年齢45億年に比べれば、ホンのゴミみたいなものです。そんな長い時間の中で、偶々同時に人生を送る羽目になった現在の地球上の人類に思いを馳せるとき、私は、その皆が懐かしい友達と感ずるのです。
同時代に偶然「生」を共にすることになった仲間、というのは、非常に貴重で、希有な存在だとは思いませんか?
長寿大国日本を初めとして、世界中で益々増える高齢者もイジメやゆがんだ社会に翻弄されて、引きこもりとなった若年者達も、一緒に、もっと気楽に出会って、話し合えるような場所が必要だ、と考えています。
機会があれば、場所を改めてお喋りでもしたいですね。
>福田 功司さん
>
>人生の先達としての考え方、行動を参考にさせて頂きたく思います。身近にこのような考え方を喋ったり、文章にしたりできる人がいること事態が驚きで、希少価値です。これからも楽しみです。さっそくお気に入りに登録させて頂きました。
>