2020年8月15日に改めて思う

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今日は2020年8月15日、つまり日本国が連合国に対しポツダム宣言を受諾した結果、無条件降伏して敗戦が確定した、その日から75年経った記念日というわけだ。

今日も暑い。そしてあの日も暑かった、と体験した人々はみんなそう言う。
確かに暑い日だった。

あの日を12歳(国民学校=今の小学校6年生)で経験した一人として、私も矢張りそう思う。
そしてその経験の場所は当時、東京から縁故疎開していた父の生まれ故郷、紀南の半農半漁の村でのことであった。

しかし、あの日の暑さはこのところの殺人的とも言える異常な暑さとはまた、ちょっと異なっていたような気もする。

果たしてこんなに高湿度で、熱中症によって死亡する人が出るような異常な暑さだったろうか?
今年の暑さは地球温暖化による影響が更に加わったように感ずるのは高齢者の思い込みであろうか?

敗戦の翌年1946年(昭和21年)の春、私は旧制中学の受験に当たっており、母の強い願いもあって東京都立中学校受験のため、未だ困難な交通状況の中、紀南の村から満員列車を乗り継いで、やっとの思いで東京へ辿り着いた。

疎開前まで住んでいた東京豊島区要町の家は幸いにも空襲を免れていたが、最寄り駅の山手線池袋駅西口の改札口を出たときの眼前の風景はと言えば、もはや嘗て識っていた街の面影は完全に消え失せ、真っ黒な焼け残りの残骸が無惨に広がるばかりだった。

最近4、5年前にNHKで放映された「東京裁判」というドキュメンタリー風ドラマが再放映されたので、改めて視聴し、感ずるところがあった。

「戦争」というものは人間同士の殺し合いであり、私としては「戦争」には絶対に反対であり、この世界から「戦争」を放逐せねばならない、と考えている。

しかし、現実には第二次世界大戦が終結した1945年8月15日以降局地的な戦争を含めれば、この地球上から「戦争」が姿を消したことは無い。

今、現在だってそうだ。

中東では未だに衰えぬISの暗躍やクルド人勢力の抵抗なども複雑に絡み合い、シリアその他の国では内戦によって市民の生命や財産が脅かされ続けているし、アフリカでは幾つかの国で、いつも小競り合いを生じ、アフガニスタンでは相変わらずタリバンが市民たちの生活を脅かしている。

日本人医師中村哲氏が争いに巻き込まれ、襲われて生命を落としたことはまだ記憶に新しい。

理不尽なイスラエルの行動に歯止めが掛からない故、それに対して抗議するパレスチナ人の抵抗も一向に消滅する気配は無い。

今の世の中で、人々が構成する民族とか国家とは一体何なのだろうか?一般市民たちにとってどんな利益をもたらし、また一方でどんなに不条理な苦しみや被害をもたらすものなのか?

この問題を解消することは人類にとって永遠の課題であろう。

独自の言語や、宗教、習慣によってもたらされる、固有の文化を守って行こうという民族の独立精神は尊重されなければならないだろう。しかし、だからと言って自分たち以外の宗教や文化、習慣を排除したり、破壊しようとするとする行為には絶対に賛成できない!

また、強力な国家の確立を求め、他の国々より経済的に、また軍事的に優位な立場に立つことのみに腐心し、その結果独善的に利益を手に入れ、それを貪り尽くそうという態度や行為は断じて許されない!

しかし、現実にこうした行為や試みは収束するどころか、反対の方向へ向かっているようにさえ思える。

日本が第二次世界大戦に踏み切った時点では、国際法上「戦争」は国同士の争いを解決する一手段として認められていたようだ。

だから、東京裁判においてもこの点が論点となり、「東京裁判自体が法的に成立しない」という清瀬弁護人の主張の根拠となっており、またこの論点に関しては、それぞれニュアンスに違いはあってもインドのパル判事やオランダのレーリンク判事が最後まで法理論上の問題としていたようだ。

だからと言って、あの戦争自体が免責されるとは当然考えられない。

だが、一方であの時代までアジア全体が欧米列強の植民地として様々な支配を受けて少なからぬ苦渋を強いられて来た事実を抹消させることもまた、歴史的観点に立てば到底出来ない。

だからと言って、あの戦争が一部の狂信者たちの主張するように、長年欧米列強により理不尽に虐げられてきたアジアの庶民を解放し、大東亜共栄圏を確立するためのリーダーとしての役割を大日本帝国が果たすための正義の戦争であったという主張を、また単純に受け入れることも無論許されないであろう。

実態は、余りにもきれいごとに過ぎた大日本帝国の主張とは裏腹に、嘗ての欧米列強の後塵を拝した、中国やアジア諸国における利権漁りや資源調達の露骨な行為であった、と言う実態を否定し去ることは出来まい。

そうした状況を考えれば、このような無理をごり押しした日本の軍部、それを抑えきれず、本来の外交交渉による問題解決に失敗した政治家である日本のリーダーたちは完全に事態を見誤り、状況をコントロールできなかった結果、一般の日本国民や戦闘展開地の住民たちに様々な被害を与えたことについての戦争責任を免れ得ない。

私見によれば、こうした不都合による負の結果が客観的に明らかになった場合ですら、日本では本来責任を負うべき立場の人間が一向にその責任を取ろうはとせず、その内にうやむやにしてしまうということが半ば慣習的に罷り通ってきたところに大きな問題が存すると思う。

「過ぎたことにはいつまでも拘らず、新しい未来に目を向けよう!」といった一見尤もらしいが、実は安易な妥協精神が日本人全体の精神構造中に染みついているように思われてならない。

話題が飛躍し過ぎるかも知れぬが、私は戦後75年も経って、未だに軍人軍属以外の民間人の受けた戦争被害に関する公的な補償が日本では実質的に全く行われていない事実に、限りない憤りを覚える。

具体的一例を挙げれば、都市の大空襲によって両親や頼るべき家族を失った、大勢のいわゆる戦災(争)孤児たちが生じたわけだが、彼等には到底語り尽くせないほどの、精神的、物質的被害があったはずだ。

成人に達していなかった彼等には「勝ち目の無い無謀な戦(いくさ)」に反対したり、抵抗したりする余地など有ろう筈も無いし、突然の無防備、無保護状態に放り出された子供たちは食べ物も住む家も無く、大勢が絶望の内に命を落としたことであろうし、辛うじて生き延びることが出来たにせよ、彼等の舐めた辛酸は筆舌に尽くし難いであろう。

そんな民間人だけでなく、自らの意思に関わりなく、国の始めた無謀な戦争の所為で様々な形で平和な暮らしを奪われ、生命や身体に重大な損傷を負った民間人は非戦闘員であろうが、臨時に重用された仮の戦闘員であろうが、数知れぬほど存在したはずだ。

いくら国が「一億一心」国民皆兵で、等しく痛みを享受しなければならなかった、と寝言をほざいたところで、そんなことを素直に了承できる人間など皆無であろう。

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日本では未だに「官」と「民」についての意識の違いが根強く存在し、これらを区別し、「お上は偉いもの」故、多少の無理難題は敢えて許容せざるを得ないとする流れが存在する。

しかし、先の戦争における日本国軍部、政治家たちの責任は大きく、どう弁解してみたところで、その責任は絶対に免れることは出来ず、どちらと言えば無知かも知れない庶民にその責任を転嫁させることなど論外である。

ただ、ここで慎重に考えておくべきは、自らがそれらの指導者の立場には無かったが故に、一般の日本人たちの全てが一方的に被害者でしかあり得なかったという見解である。
つまり、当時の到底賢明とは言えぬ指導者たちの指示に一方的に従わざるを得なかった、という結論に至る単純すぎる考え方を私は問題にしている。

当時の庶民たちの心情に沿い素直に考えてみて、あの状況下ではたとえ些かなりとも、自身がその責めを負うべき立場には絶対になり得なかった、と果たして当時の日本国民全員が断言できるのだろうか?

敗戦末期には、非戦闘員が居住する一般市街地をも無差別爆撃したB29爆撃機の搭乗員が撃墜されたりした際、一般民間人が無抵抗の敵兵士たちをどのように取り扱ったか?

伝聞では、色々なケースがあったようだ。

たとえば、自分の家族や知人を大空襲により殺傷された人々は、仇討ちと称して代わりの憎き敵兵士たちを躊躇すること無く、大勢でなぶり殺しにしたというケース。

逆に、人里離れた山間部に墜落した若い米軍兵士を憲兵隊に引き渡すまで、彼に握り飯や飲み物を与えたりして労ったというエピソードもある。

いずれにせよ、好ましからぬ野望を持った軍部の暴走や独善的な政治家の愚行を留めたり、抑えたり出来るのは結局、庶民の力でしかない筈だ。

無論、当時民主主義は日本に根付いていなかったから、止むを得ない面も当然ある。

では、一応民主主義国家と称されている現在の日本国ではその点どうだろうか?

表面的は変化したようにも見えるが、実質的には余り変わっておらず、敢えて誤解を恐れずに言えば、未だに日本には真っ当な民主主義が根付いていないように、私には視えるのだが…。

現実の世界は結局、力のある者、力のある国家が、好きなように庶民を誘導し、世界を牛耳って己の利害と力を誇示するばかりだ。

識見を持った市民たちの数が乏しく、特に我が国では小泉、竹中政権以来の新自由主義によって新たに生じた格差や貧困問題が一向に解決されていないし、この傾向は世界的にもほぼ同様な問題を呈している。

今の地球上では、一応民主主義の体裁を整えている国家、それとは相容れぬ体制を採用する国家群が乱立状態にあるわけだが、皮肉なことには今や新型コロナウィルスの蔓延によって人類は存亡の危機に瀕しており、その結果お互いに取り得る限りの協調や国家間の協力が真剣に求められようになっていることだ。

この先、地球上の人類がこれまでのような争いと共に成し遂げてきた繁栄をこれまでのように維持して行けるのか否か?これからが正念場となろう。

それについて、私自身は格別悲観も楽観もしていない。

こうして敗戦後75年を経過して、その無謀で悲惨な戦争の体験を語れる人々も居なくなると危惧され、それをどう伝えて行けばよいのか?様々な議論がなされているようだ。

しかし、それが今後上手く行くかどうか?誰にも分からない。

言えることは、人はいつでも、そのとき自分に出来る事を精一杯やる!それしか無いし、それこそが大事なことで「戦争体験の伝承」だって「コロナウィルスとの戦い」だって所詮同じことだ。

その結果がどう発現するか?それは後の世の人々によってしか判定できまい。

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