これまで「どう生きるべきか?」を考えて来たのだが、これからは「どう死ぬべきか?」を考えなければいけないということなのか!?

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○野君からのメール

「人生110年時代-驚きです。小生には不可能です。せいぜい85迄だと思います。メールが行かなくなったら逝ったと思って下さい。(○野)」

これは『ぶらいおんの 来た道~往く路』→ http://www.burairoad.ejoh.org/ という私のホームページ中2020年10月27日付けの”今日の一言”欄に書いた「人生110年時代」という記事に対し、今は福井に在住する友人から届いたメールである。(個人情報保護のため、姓の一部を伏せ字とした。)

彼とは東京丸の内で、特許法律事務所勤務時代に所属課は異なっていたが、お互いに仕事で専ら外国の組織との連絡や折衝に当たっていた。私は技術関連分野で、彼はそれ以外の分野で。

年齢に関しては私が昭和1桁生まれであるのに対して、彼は2桁の生まれであるから、数歳年下の昭和10年代の生まれである。

そのような状況で、今はお互いに福井と和歌山に暮らしているが、時折私が書いたものを案内したり、返事が来たりする間柄なのである。

私からの返信

○野君のメールに対する私の返事はこうだ。
「85歳に限定しないで下さい。もし、そうすると私の場合、もう2年もオーバーしています。

未だに、いつか死ぬにしろ、あした死ぬとは思えません。でも、世の中は段々世知辛くなって今、取り沙汰されている健康保険の窓口75歳以上1割負担が改定されて2割となれば、私のような下流老人でも、ホンの僅かなのですが、所得制限を超えてしまい、2割負担となります。

今でも、赤字のやり繰りに苦労しているので、これは将に端的に「高齢者は医者にも掛からず、さっさと死ね!」と言うことになります。

それでも私は内科(降圧薬)と歯科(定期健診と予防治療)だけで、薬剤も医師、薬剤師と相談してジェネリック薬剤に変更したり、なるべく使用自体を減らすようにしています。

しかし、4歳年下の家内は内科、整形外科、心療内科に通院し、1割負担でも薬代は可成りのものになります。これが単純に倍になるだけでも、今の借金生活はいずれ破綻するでしょう。

そうなると、これから真剣に「どう死ぬべきか?」を考えざるを得ません。

これまでの私の生き方「どう生きるべきか?」を考える余地は現実問題として無くなることになります。」

このままでよいはずは無い。ではどうしたらよいのか?

新型コロナパンデミックが追い打ちをかけることによって、日本では更に非正規労働者やシングルマザー、若者たちの格差や貧困が深まるばかりである。

困難な時代であるからこそ、人間の英知を以て誰でもが最低の生活を保障され、人権が尊重される平和で暮らしよい世界のやって来ることを心から願い、そのための市民たちの運動に些かでも関わって行きたい、と願ってはいるのだが…。


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